百人一首の有名な恋の詩8選
百人一首には多くの恋の詩がありますが、有名な恋の詩が8つあります。和歌の名人三十六歌仙から4人と、天皇、女性歌人、光源氏のモデルと称される人物、百人一首の撰者の計8人です。三十六歌仙とは、藤原公任が「三十六人撰」で取り上げた和歌の名人のことで、百人一首を代表する歌人25人が入っています。
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は
詩番号・40
- しのぶれど 色に出にけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで
使用されている言葉の意味
しのぶれど:人に知られまいと心の中に秘めているのにという意味です。
色に出にけり:色彩ではなく、表情や顔色のことを指します。
物や思ふと:物は恋に関する思いのことです。
現代語訳
今までひそかに隠してきたけれど、ついに「何か思い悩んでいるのか」とたずねられるほどに顔色に出てしまいました。
作者:平兼盛
生没年 | 未詳~990年 |
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プロフィール | 平兼盛は、元は皇族の身分で兼盛王と名乗っていました。のちに巨籍降下(皇族が「姓」を賜り皇族ではなくなること)をし、平という名字を名乗ります。三十六歌仙を代表する一人に数えられています。 |
恋心が思わず顔に出てしまう
片思いの気持ちが思わず顔に出てしまったという恋心の高まりを表した詩です。「色に出にけり」の部分が人に知られてしまった心情を説明しています。現代でも、隠しきれずに好きな感情が自然に出てしまい、ほかの人から指摘されて、顔から火が出そうということはありますね。
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
詩番号・41
- 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
使用されている言葉の意味
恋すてふ:恋しているという意味です。(音読する場合は「こいすちょう」と読みます)
まだき:まだその時期にならないうちに早くもという意味です。
現代語訳
誰にも知られないようにまだ胸のうちで思いはじめたばかりだというのに、恋しているという私のうわさは早くも立ってしまいました。
作者:壬生忠見
生没年 | 未詳 |
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プロフィール | 壬生忠見は官位が低く貧しい暮らしだったとされますが、のちに摂津(現在の大阪府北中部から兵庫県南東部にあたる場所)の国司になったとされます。父(父は詩番号30番の忠岑)とともに三十六歌仙を代表する一人です。 |
秘めていたはずの恋心が皆に知られ戸惑う
ひそかに思いはじめたばかりの思いなのに早くもうわさが立ってしまったと戸惑っている片思いの様子を表しています。学校や会社などでもうわさが立つのは早いです。いつの時代も変わらないものですね。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
詩番号・3
- あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
使用されている言葉の意味
山鳥:キジ科の鳥のことです。夜に雄と雌がわかれて寝るとされ、ひとり寝に関連づけて描いたとされます。
ひとりかも寝む:ひとりを強調しています。
現代語訳
夜になると雄と雌が離れて寝るという山鳥だが、山鳥の長く垂れ下がった尾のように長い夜を一人で寂しく寝るのでしょうか。
作者:柿本人麻呂
生没年 | 未詳 |
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プロフィール | 柿本人麻呂は7世紀末から8世紀初めの宮廷歌人です。素顔や身分など素性はわかっておらず謎の多い人物です。三十六歌仙の代表的な一人であり、平安時代以降は歌聖と尊敬されました。 |
秋の夜長にひとり切ないさみしさ
秋の夜長、恋人と離れて過ごす寂しさを歌った恋歌です。両思いなのに自由に会えず限られた連絡手段しかなく、恋しい相手を思い一人寝の切ない思いを呟いています。通信手段が発達した現代ですが、愛しい人を思う気持ちは普遍的で、恋の切なさは今も昔も変わらない感じがしますね。
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに
詩番号・14
- みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに
使用されている言葉の意味
みちのく:東北地方の太平洋側の古い呼び名で「道の奥」が縮まったものです。
しのぶもぢずり:織物(すり染め)のことで忍ぶ気持ちを名前にこめています。
我ならなくに:私ではないのにという意味です。
現代語訳
みちのくのしのぶもじずりの乱れもようのように、心が乱れてしまいました。私のせいではないのに、誰のためにこうなったのでしょう。
作者:河原左大臣(源融)
生没年 | 822~895年 |
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プロフィール | 源融は嵯峨天皇の皇子で、のちに巨籍降下し左大臣となり源を名乗ります。京の東に河原院という邸宅を造営したため河原という号がつきました。相当な財力の持ち主であり、プレイボーイとしても有名であったとされます。 |
恋にみだれる心
浮気を疑った女性へ男性が贈った歌です。非を責める女性の矛先をかわして逆に責め立てている様子は作者がプレイボーイだけありさすがといった感じでしょう。代表的な忍ぶ恋の詩ですが誰にも知られないよう、秘めた心の切ない思いは暴走しそうです。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
詩番号・77
- 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
使用されている言葉の意味
瀬をはやみ:瀬は川が浅く流れが急な部分のことを言います。
岩にせかるる:せき止められてという意味です。
滝川の:急流、激流のことを表しています。
現代語訳
浅瀬の流れが早いので、岩にせき止められて滝川は二手にわかれてもいずれ合流するように、今はあなたと離れても行く末は再び会おうと思うのです。
作者:崇徳院
生没年 | 1119~1164年 |
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プロフィール | 崇徳院は鳥羽天皇の第一皇子であり、第75代崇徳天皇です。5歳で即位しますが、父の鳥羽院に23歳で退位させられます。保元の乱を起こしますが敗れたため讃岐に流されてしまいます。 |
今は別れても将来は必ず結ばれると宣言
両思いの詩です。今は周りの人に引き裂かれてもいつか一緒になろうという強い決意が「ぞ思ふ」という結びに表れています。しかし天皇の歌としては激しすぎ一見恋愛の歌でありながら帰郷できなかった崇徳院の思いも読み取れる詩でもあります。
出典:写真AC