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鬼怒川温泉の廃墟はアクセス抜群なのにヤバい!なぜ廃墟が残されてしまった?

鬼怒川温泉の廃墟はアクセス抜群なのにヤバい!なぜ廃墟が残されてしまった?

日光の鬼怒川温泉には、人気温泉地にもかかわらず廃墟ホテルが立ち並びます。ホテル廃業から長年経つものの、解体の難しさや立地的な原因により建物が取り壊しされず残されたままです。鬼怒川温泉の観光ブームの歴史を紐解き、廃墟ホテル群を取り巻く社会問題もお伝えします。

目次 [表示]

鬼怒川温泉の廃墟群の現状

出典:photo AC

鬼怒川温泉の廃墟群があるのは、鬼怒川の東岸で、近年の温泉街の中心部からは少し北に離れたエリアです。鬼怒川温泉では渓谷の両岸に旅館やホテルが立ち並んでいるものの、川の東岸と西岸の様相は大きく異なっています。

営業中のホテルから見える廃墟群

川の西岸にある営業中のホテルの部屋から、対岸にある荒廃した廃墟群が見えることがあります。近い距離に廃墟が見えてしまうのは、さほど広い川幅ではないからです。各ホテルとも渓谷側に面している部屋が多く、大勢の宿泊客が戸惑いや不思議さを感じます。

廃墟ホテルが立ち並ぶ場所

廃墟ホテルが立ち並んでいるのは、JR東武鬼怒川線の線路に平行して走る国道沿いです。鬼怒川公園駅から南に数分の場所にある「元湯星のや」から「きぬ川館本店」「鬼怒川第一ホテル」と続き、少し離れて「鬼怒川観光ホテル東館」があります。

一方、西岸には豪華絢爛で有名な、営業中の「あさやホテル」などが建っています。

廃墟ホテルとなったかつての有名ホテル

鬼怒川温泉の廃墟ホテルは、創業・廃業の時期は違えども、宿ごとにこだわりや自慢があり、かつて賑わった有名ホテルばかりです。廃墟ホテルの正面外観は、かつて宿泊客が出入りする華やかな玄関であったことを想像できないほどに荒廃しています。

廃墟①:元湯星のや

出典: https://www.instagram.com/p/CH5eXmopEsF/

元湯星のやは、1925年(大正14年)創業、鬼怒川温泉の中でも老舗の旅館でした。源泉かけ流しが自慢で、お湯のいい宿として温泉通にも大変人気があったものの、2010年に廃業しました。

2000年代にすでに廃墟が目立っていた温泉街の中で、さほど規模が大きくないながらも頑張って営業を続けていたものと思われ、廃業を惜しむ声もありました。

廃墟②:きぬ川館本店(かっぱ風呂)

出典: https://www.instagram.com/p/CHxO_bdASym/

きぬ川館本店は、1942年(昭和17年)創業、名物「かっぱ風呂」で有名な宿でした。別館や第二別館を増築するなど賑わったものの、巨額の投資や放漫経営がたたり、他の廃墟と比べると早い1999年に30億円もの負債を抱え倒産しました。

廃業から20年以上経過し、ホテルの建物は荒廃化が進み危険な状態です。かっぱ風呂から悲鳴が聞こえるなどの心霊現象の噂も広まっています。

廃墟③:鬼怒川第一ホテル

出典: https://www.instagram.com/p/CASHgh0AUzH/

鬼怒川第一ホテルは、1980年(昭和55年)開業で他のホテルに比べて新しく、8種の湯船が揃う「鬼怒の八湯」が売りの大型ホテルでしたが、2008年に廃業しました。

廃墟となり10年以上経過し、ホテルの看板は剥がれ落ちているものの、他の廃墟と比較すると外観はまだきれいです。対岸のホテルから眺めると手招きする人影が見えるという心霊現象の噂もあります。

廃墟④:鬼怒川観光ホテル東館

出典: https://www.instagram.com/p/CJvb5axhiqg/

鬼怒川観光ホテル東館は、国道からくろがね橋へ降りる曲がり道の脇に建つホテルでした。1950年代より岡部ホテルグループが一帯でホテル運営を始め、鬼怒川観光ホテルは東館・西館・別館の3館で営業していたものの、東館は2008年に閉館しました。

同じく閉館した西館は取り壊され、別館は大江戸温泉物語グループが「鬼怒川観光ホテル」の名前と経営権を引き継ぎ営業しています。

鬼怒川温泉の繁栄と衰退の歴史

出典:photo AC

鬼怒川温泉は、昭和初期に下野電気鉄道の開通がきっかけで発展し始め、戦後、東京方面から観光客が大勢やってきたことで日本有数の大型温泉地へと成長しました。

バブル期には急速に繁栄を遂げたものの、バブル崩壊後には旅行形態の変容を受け、衰退の道を辿り始めました。温泉街の歴史は、廃墟問題を語る上で切り離せないものです。

バブル期の観光ブーム

1980年代後半~1990年初頭にかけてのバブル景気の時期には、首都圏からのアクセスの良さが好影響し、鬼怒川温泉は繁栄しました。特に会社の慰安旅行などの団体旅行ブームの煽りを受け大繁盛し、各ホテルでは建物の増築なども盛んに進められました。

バブル崩壊後の苦難

フリー写真素材ぱくたそ

バブル崩壊後の団体客減少やレジャーの多様化、さらに2003年の足利銀行経営破綻や絶頂期における放漫経営などの原因により、厳しい経営状況に追い込まれた多くのホテル・旅館が廃業を余儀なくされました。

東北新幹線の延伸や航空運賃低下などにより国内遠方への旅行や海外旅行ですら身近なものとなり、アクセスの良さが売りだった鬼怒川温泉の人気は低迷しました。

震災や豪雨による廃墟への影響

2011年の東日本大震災と福島原発事故の風評被害により、鬼怒川温泉の観光客は激減し、バブル崩壊後も自主経営を続けていた中小の民宿や店舗の廃業が相次ぎました。

2015年9月の集中豪雨では鬼怒川が氾濫し、鬼怒川プラザホテルの露天風呂が被害を受けたニュースは記憶に新しいものです。廃墟ホテルに関しても、地震や豪雨災害によって荒廃化が進んだことは間違いないでしょう。

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