空港名にもなった「ダニエル・イノウエ」ってどんな人?功績をご紹介!

空港名にもなった「ダニエル・イノウエ」ってどんな人?功績をご紹介!

ダニエル・イノウエはハワイのために活躍したハワイ生まれの日系二世です。ホノルルの空港名『ダニエル・K・イノウエ国際空港』の由来になってしまったほどの活躍とはどのようなものだったのでしょうか?ダニエル・イノウエの功績をご紹介します。

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ダニエル・イノウエの生い立ち

フリー写真素材ぱくたそ

ダニエル・イノウエはアメリカ人であるというアイデンティティと日本人の精神をあわせ持ち、軍人として、政治家として大活躍したハワイ生まれの日系二世です。

ダニエル・イノウエの功績により、2007年、ホノルル国際空港が『ダニエル・K・イノウエ国際空港』に変わりました。空港名の由来になってしまうほどのダニエル・イノウエの活躍をご紹介します。

移民であった父と母

ダニエル・イノウエの父である井上兵太郎と母であるかめは、それぞれ福岡県と広島県からハワイに移住した移民でした。ダニエル・イノウエは1924年9月7日、兵太郎とかめの息子としてハワイのホノルルで生まれ、ダニエル・ケン・イノウエと名付けられました。

ハワイ大学進学

Photo byPactoVisual

ダニエル・イノウエは医師を目指してハワイ大学マノア校に進学しました。ハワイの日本人社会のなかで日本人家庭の息子として育ったダニエル・イノウエは日本文化もアメリカ人としての考えもあわせ持って育ちましたが、やはり日系人であることで差別や対立も経験します。

差別や対立の中で生まれた『勉強では誰にも負けたくない』という思いが、医師になる夢につながったのです。

ダニエル・イノウエの戦争での功績

Photo byDefence-Imagery

第二次世界大戦においてダニエル・イノウエは日系人でありながらもアメリカ軍の兵士として活躍しました。日本人の家に生まれたダニエル・イノウエですが、アメリカ人としてのアイデンティティも強く持ち、日系人の名誉のためにもアメリカ人として戦うことを志したのです。

ダニエルの戦争での功績はのちに軍人に贈られる最高位の勲章『名誉勲章』が贈られるほどのものでした。

日本軍による真珠湾攻撃

敵国外国人となった日系人

1941年12月7日、日本海軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍の基地に攻撃を行いました。真珠湾攻撃によって日系人は敵国外国人となってしまったのです。アメリカ本土では日系人は敵国外国人として強制収容されましたが、ハワイでは日系人が大変多かったため、強制収容されることはありませんでした。

アメリカ人としてのアイデンティティ

ダニエル・イノウエは強制収容はされなかったものの真珠湾を攻撃した日本人と同じ血が流れている日系人として後ろめたい思いを抱えていました。ダニエルはアメリカ人であることを認めてもらおうとどんな仕事でも引き受け勤勉に働きました。

アメリカ人として軍隊に志願

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母国アメリカを守りたいという強い思いを持ったダニエル・イノウエは大学在学中でありながら、軍隊への入隊を希望していました。しかし敵国外国人である日系人がアメリカ軍に入ることは当初難しいことでした。

状況が変わったのは1943年、アメリカ軍が二世部隊をつくることになりダニエルの入隊が叶ったのです。日系人で構成された442部隊が誕生し、ヨーロッパに渡っていきました。

ドイツ軍との戦い

イタリアでの戦い

ダニエル・イノウエはイタリアでドイツ軍と戦い、歴史に名を刻むことになるのです。1945年4月21日にイタリアのサンテレンツォにおいてダニエル率いる小隊は至近距離からの射撃を受け、ダニエル自身も腹部に銃弾を受けながら、倒れ込んでまでも攻撃を続けました。

右腕を失っても戦った

ダニエルがドイツ軍の最後の機関銃座に手榴弾を投げ込もうとした時、ダニエルの右腕が敵の銃弾に打たれ、切断寸前になってしまいます。右腕がちぎれそうになりながら左手で攻撃を続けたダニエルでしたが、左足にも負傷を負い、倒れてしまいました。病院に運ばれたダニエルは右腕を失ってしまったのでした。

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ダニエル・イノウエの政界での活躍

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