ダニエル・イノウエの人柄
ダニエル・イノウエの名前は国際空港だけではなく、ミサイル駆逐艦、ハワイのハイウェイや太陽望遠鏡などの名前の由来にもなるほど地元から慕われていました。同じハワイ出身のオバマ大統領に影響を与えたのみならず、政治家からの信頼も厚く、亡くなるまで上院議員の職を全うしました。
座右の銘
ダニエルの座右の銘は『ギムとメイヨ』でした。ダニエルは幼い頃に祖父に『ギムとメイヨ』という日本語を教わり、生涯大切にしていました。アメリカ兵として戦ったのも議員の職を全うしたのも、日米の架け橋となったのも母国アメリカ、故郷ハワイに対する『義務』であり、日系人としての『名誉』を守るためでした。
ダニエルは生涯をかけて『ギムとメイヨ』を体現してきたのです。
ダニエル・イノウエと家族
ダニエル・イノウエは1948年、マーガレット・シノブ・アワムラと結婚し、息子が1人生まれました。1996年に死別、2008年に全米日系人博物館館長だったアイリーン・ヒラノと再婚しました。息子のケニー・イノウエは80年代に活躍したギタリストとしても知られています。
晩年のダニエル・イノウエ
ダニエル最期の言葉
ダニエル・イノウエは2012年、88歳で亡くなりました。ダニエルの最後の言葉は『Aloha』でした。
『Aloha』とはハワイの挨拶の言葉で「さようなら」「こんにちは」の他にも「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」とたくさんの意味を持っています。たくさんの『Aloha』を家族に伝えたかったのでしょう。
英雄の死に皆が悲しんだ
ダニエル・イノウエの死に際してはオバマ大統領が『真の英雄を失った』とコメントしたのをはじめ、ヒラリー・クリントン国務長官らが次々を弔意を示しました。
ダニエル・イノウエの棺は合衆国議会議事堂の大広間に安置され追悼式典が行われました。大広間に安置されるのはジョン・F・ケネディなど一部大統領や議員に限られており、アジア人としては初めてのことでした。
やはりダニエル・イノウエは英雄だった
ホノルル国際空港の名前の由来にもなった「ダニエル・イノウエ」は軍人として、政治家としてやはり素晴らしい功績を残したハワイ、アメリカの英雄でした。今後ダニエル・K・イノウエ国際空港に降り立った時は日本人の血が流れた英雄の活躍や歴史を思い、特別な思いで過ごせそうな気がしますね。