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小塚原はヤバい心霊スポット?江戸時代の処刑場跡にまつわる噂を解説!

小塚原はヤバい心霊スポット?江戸時代の処刑場跡にまつわる噂を解説!

小塚原は江戸時代から明治時代にかけて処刑場があった場所です。東京都荒川区南千住にあたります。当時は周囲にあった鈴ヶ森刑場、大和田刑場とともに三大刑場として人々から恐れられた場所です。現在小塚原処刑場跡地は都内有数の心霊スポットとして有名になっています。

目次 [表示]

小塚原処刑場の歴史

Photo by t-miki

慶安4年(西暦1651年)に罪人の処刑場として作られました。多くの死体が出るため、刀剣の試し切りの場、医学を学ぶための腑分けの場としても利用されていました。

寛文9年(西暦1699年)に19個の火葬寺が小塚原に移転したことで江戸有数の火葬場の役割も果たしていました。明治6年(西暦1873年)に明治政府が処刑場を廃止しました。

小塚原処刑場の成り立ち

フリー写真素材ぱくたそ

小塚原処刑場は鈴ヶ森処刑場、大和田処刑場とともに三大処刑場と呼ばれる江戸の罪人を処刑するための場所として誕生しました。小塚原処刑場が作られてから9年後に小塚町は万治3年(西暦1660年)に江戸四宿のひとつ千住宿に加えられました。

寛文7年(西暦1667年)に弟誉義観が死者を供養するために創設した行常堂がいま跡地にある回向院の始まりです。

小塚原処刑場の当時の様子

Photo byavanzu

小塚原処刑場では磔刑・火刑・獄門が行われていました。丁寧に埋葬されることなく簡単に土をかぶせただけの野ざらし状態にされた死体には野犬やイタチなどの肉食動物が群がり、夏場になり気温が高くなってくると処刑場の周囲にはひどい腐敗臭が漂っていました。

小塚原処刑場が関わる歴史的出来事

Photo by Dick Thomas Johnson

小塚原処刑場と深い関わりを持つ日本の歴史は安政5年(西暦1858年)に井伊直弼が行った「安政の大獄」です。江戸幕府の政策に反対した尊王攘夷派の思想家や志士たちを次々と捕らえ、国事犯として処刑した場所が小塚原です。

日本の西洋医学を発展させた蘭学者杉田玄白と仲間たちが「解体新書」に記した知識をさらに発展させるために研究が行われた場所でもあります。

小塚原で処刑された、もしくは埋葬されている歴史的人物

photoAC

小塚原処刑場で処刑された最も有名な人物は「吉田松陰」です。私塾「松下村塾」を開き尊王攘夷派の中心人物として活動していましたが、安政の大獄の際安政6年10月27日に死刑が執行されました。

他には吉田松陰と同じく尊王攘夷派の頼三樹三郎や、開国派の橋本佐内など日本の将来を案じ活動した若者が安政の大獄によって投獄され斬首となり、小塚原に埋葬されています。

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