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千日前は実はかなりの心霊スポット!心霊現象・心霊体験をご紹介!

千日前は実はかなりの心霊スポット!心霊現象・心霊体験をご紹介!

千日前は、かつて処刑場や火葬場があったこと、千日デパート火災で大勢の人が亡くなったことから、心霊スポットとして大阪市民の間で有名です。千日デパート跡地のビックカメラなんば店を中心に、千日前一帯で多くの人が心霊体験をしています。

目次 [表示]

千日前はなぜ心霊スポットと言われるのか

フリー写真素材ぱくたそ

千日前は、かつては人があまり好んで立ち寄るような場所ではありませんでした。千日前は江戸時代を通して死者の町であり続けたのです。明治時代、難波駅が開業した後から、見世物小屋が開業するなど、千日前は徐々に繁華街へと変貌を遂げました。しかし、繁華街になった後も、千日前では心霊現象の噂が絶えません。

理由①:千日前はかつて処刑場だった

Photo by go7o

千日前は、江戸時代の初めの大坂夏の陣の終結後から明治3年ごろまで処刑場として稼働していました。江戸時代を通して、大勢の人が獄門さらし首、磔などの残虐な刑で処刑されています。幕末の新選組局長・近藤勇の首も、京都の三条河原でさらし首となった後、塩漬けにされたうえで、千日前でもさらし首とされました。

理由②:千日前はかつて火葬場だった

フリー写真素材ぱくたそ

千日前はかつて、大阪市内の死者を焼く火葬場でした。千日前の南に火葬場が作られ、大阪市内の死者や、千日前の処刑場で亡くなった人の火葬が絶えることなく行われていました。引き取り手のいない刑死者たちの骨は、火葬場や処刑場の近辺に山のように積み上げられ「灰山」と呼ばれていました。

明治に入ってから、千日前の火葬場は墓地とともに阿倍野に移動しました。

理由③:千日前には墓地がある

Photo by Masaru Kamikura

千日前には、江戸時代に千日墓地と呼ばれる大規模な墓地がありました。千日墓地は墓地だけでなく、処刑場や火葬場もあったことから、大阪の町人たちも気軽に立ち寄るような場所ではなくなりました。明治時代に千日墓地の大部分は火葬場とともに阿倍野に移転しました。しかし墓地の一部は現在も残されています。

千日墓地には、千日デパート火災の身元不明の死者も埋葬されています。

理由④:千日デパート火災

Photo by yto

昭和47年、千日前の千日デパートで大火災が起こり、大勢の人が亡くなったのです。千日デパートは地下1階、地上7階建てという、千日前を代表する複合商業施設で、火災時には7階のキャバレーが営業していました。

出火元は3階だったのですが、一酸化炭素を含む有毒な煙がエレベーターや階段、エスカレーターを通して7階に運ばれ、従業員や客118名が亡くなる惨事でした。

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