ドヤ街と呼ばれる山谷地区の生い立ち
東京の上野や南千住にほど近い所にあるのが山谷です。山谷地区からはスカイツリーも望めて、昔のドヤ街というイメージとの違和感も強く湧きます。昔のドヤ街のイメージもあり、近寄りがたい印象を与えている山谷地区ですが、注意していただきたいのは現在、正式には山谷という地名がないことです。
山谷は地名が変更
1962年施行の「住居表示法」により、「東京都台東区浅草山谷1~4丁目」は「東京都台東区清川・日本堤・橋場」と、「東京都荒川区南千住」に、またがる地名に変更されました。したがって、この記事で使用する「山谷地区」は通称ということです。
山谷は東京のどこにある?
山谷は上野駅からは東北の方向になり、最寄りの駅としては南千住駅か三ノ輪駅ということになります。南千住駅からなら、南方向へ徒歩で10分ほどです。吉野通りという大きな通りを南へ行くと、明治通りと交差します。
交差した場所が「泪橋」で、そこから南へアサヒ会通りと交差するあたりまでの、吉野通りの両側に広がる地域が山谷と呼ばれる地区です。
山谷の歴史的背景
山谷がドヤ街と呼ばれるのは、「宿」を逆さ言葉にした「ドヤ」に起因しています。現在も山谷には簡易宿泊所が多くありますが、注意したいのは江戸時代の頃から奥州街道や日光街道に沿った地域であり、もともと旅人のための木賃宿が集まっている場所であったことです。
泪橋の由来
かつて江戸と地方を分ける境界は、泪橋でした。泪橋のすぐ北には「小塚原処刑場」があり、南西には「吉原遊郭」があります。処刑される罪人や身売りする遊女などと、身内の人々が涙ながらに別れた場所から、泪橋と名付けられたようです。
山谷は高度成長期の日本が生んだ鬼っ子
高度成長期に、上野駅は東北や北陸から上京してくる人々が最初に降り立つスポットでした。集団就職であれ季節労働者であれ、上野からそれぞれの職場へと向かったわけです。その中で建設産業を代表とする、身分保障の何もない「日雇労働」という職場に従事した人々が、山谷の住人を形成していくことになります。
ドヤにあぶれれば野宿の運命
岡林信康の「山谷ブルース」を持ち出すまでもなく、1964年の東京オリンピックをはじめとした、東京のさまざまな発展は、超ブラックな日雇労働者の存在抜きには語れません。しかし、安いキツいと言われる日雇い労働も、それがあればドヤで眠れますが、それさえなければ野宿しかないのが現実です。
山谷地区の現況を詳しく解説
2020年に2度目のオリンピックを迎えようとしている今、山谷地区の置かれた現況を解説します。同じようなドヤ街を抱える大阪の西成地区との比較や、山谷地区を抱える台東区や荒川区と他の区との治安に関する数字への注意も必要です。山谷地区の内的あるいは外的な変動要因も考慮してみます。
大都市における必然悪?
ドヤ街と呼ばれるようなスラム化した地域は、世界中のどの国の大都市にも見られます。ドヤ街は人や物が集中する都会において、沈殿したオリのようなもので必然悪かもしれません。誰もが「できればない方がよい」と、思う存在です。
大阪西成と東京山谷の類似点
東京や大阪といった大都市にも、当然ドヤ街という存在があります。「山谷地区」や「西成地区」がそうです。この2つの地区は双子のように似た形態をもっています。都会がこういう地区を生み出す原因・理由は、同じところにあることを物語っているようです。
ドヤ街と遊郭と処刑場
山谷地区の近隣に「吉原遊郭」があり「小塚原処刑場」があったように、西成地区にも「飛田遊郭」や「千日前処刑場」の存在がありました。いずれも社会の底辺をなす人々に無関係ではない場所です。これらの背景を正視した上で、山谷の問題も見つめ直す必要があります。
山谷地区の治安を数字で見る
区名 | a犯罪件数(2018年) | b人口数(2019年) | 犯罪発生率a÷b=% | |
1 | 千代田区 | 3,204 | 61,269 | 5.2% |
2 | 渋谷区 | 5,432 | 224,680 | 2.4% |
3 | 新宿区 | 6,416 | 342,297 | 1.9% |
4 | 台東区 | 3,153 | 196,134 | 1.6% |
4 | 豊島区 | 4,472 | 287,111 | 1.6% |
14 | 荒川区 | 1,517 | 214,644 | 0.7% |
21 | 練馬区 | 4,535 | 728,479 | 0.6% |
21 | 杉並区 | 3,542 | 564,489 | 0.6% |
21 | 文京区 | 1,261 | 217,419 | 0.6% |
山谷地区の治安について注意しておきたいのは、思いのほか治安は悪くないことです。表で示すのは東京の主な区別を比較した、山谷が属する台東区や荒川区と他の区との犯罪発生率になります。ワースト1位は千代田区で、以下渋谷区・新宿区とつづき、台東区と豊島区が同率4位です。
「山谷の治安は悪くない」という数字
各区の数字を分析して分かることは、犯罪発生率の高い区は、いずれも大繁華街を抱えていることです。台東区の数字も、上野という繁華街によって、もたらされるもので、山谷が原因とは言えません。同じ山谷を抱える荒川区の犯罪発生率をみれば明らかです。
ドヤに住む人々の高齢化と対照的な周囲の近代化
高度成長期には若い働き手であった日雇労働者も、当然のことながら現在では相当に高齢化しています。山谷に暮らす「元日雇労働者」は2018年現在で約4,200人で、うち9割は「生活保護受給者」です。彼らの中には慢性疾患者も多数いる上に、「行き倒れ」る人も少なくありません。
山谷の周囲に建つ高層ビル
山谷の内側で進行する変化とは対照的に、周囲にはスカイツリーに象徴されるような開発ラッシュが押し寄せています。以前には見られなかった、そびえ立つ高層ビルです。いま、山谷は内と外との両面から変化が迫られています。
宿泊料などに見られる変化
2度目のオリンピックを目前にして、世界で有数の大都会である東京は、ますます都市化しています。山谷地区にも、その余波は来ていて、1960年代の最盛期には200軒を超えるほどあったドヤは、現在は半数近くです。
「安いビジネスホテル」をめざす傾向
宿泊料は立地や個別の条件で異なりますが、ドヤの料金相場は、おおむね1,800円~2,500円です。極端に安いドヤには1,000円もありますが、新規に建てられた物件になると、最近の傾向は3,000円台も、めずらしくありません。インバウンドを意識した「安いビジネスホテル」をめざす傾向が見てとれます。
山谷地区に吹き込む新しい風
人は、いやおうなく老いていきます。人ばかりでなく住居も地域も、あるいは企業も老いを避けられません。山谷というドヤ街を形成していた人や施設が老いれば、その姿は変化が必然となります。そんな山谷に風が吹き始めたのは確かです。
あしたのジョーに代表されるノスタルジーという風
かつて一世を風靡した「あしたのジョー」という、漫画がありました。泪橋は、漫画の舞台となった一つです。2011年の映画化公開を機に、地元の「いろは会商店街」が中心となり、いわゆる街おこしの一環として「聖地巡礼キャンペーン」を打ち出しました。
山谷に昭和のノスタルジーを求める人も
いろは会商店街のあちこちに見受けられるのは、主人公ジョーの思い出につながる、たくさんの垂れ幕やポスターです。「ジョーが現れるのでは?」という聖地感と、山谷が醸し出す「昭和の臭い」のノスタルジーが渾然となって、多くの人々が訪れるまでになっています。
五輪インバウンドが呼ぶバックパッカーの風
東京オリンピックを控えて、日本へのインバウンドは、すでに3,000万人を突破しています。注目したいのは、チープで気ままな旅をしたい「バックパッカー」と呼ばれる若者たちの存在です。彼ら諸外国から来た若者はもちろん日本の若者にも、山谷を括弧付きで考えるというようなバイアスのかかった見方はありません。
バックパッカーが求めるもの
古い日本らしさが残る山谷は、バックパッカーにとって居心地の良い空間です。山谷のドヤでの素泊まりの気楽さ、とにかく安い料金が彼らには魅力となります。
ドミトリールームさえも、交流の機会としてプラス要素となるのです。山谷に近い三ノ輪駅からは人気観光スポットへ地下鉄1本で行ける、アクセスの良さも喜ばれています。
普通の街へ山谷地区の可能性
山谷地区にはドヤで暮らす人ばかりでなく、ふつうに生活する住民も当然たくさんいます。山谷を訪れる内外からの人々の刺激を受けて、山谷の良いところを残しつつ、山谷が独自のふつうの街として発展していく、可能性を信じましょう!