埼玉はださいたま?翔んで埼玉でもネタにされる埼玉がディスられる理由は?

埼玉はださいたま?翔んで埼玉でもネタにされる埼玉がディスられる理由は?

「ださいたま」は、埼玉をディスるときによく使われる言葉です。映画「翔んで埼玉」のヒットもあり、「ださいたま」が再度注目されています。なぜ「ださいたま」という言葉が生まれたのか、なぜ埼玉がディスられているかについて解説します。

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埼玉はださいたま?

出典:photoAC

「ださいたま」は、埼玉のダサさをディスするときによく使われる言葉です。映画『翔んで埼玉』でも話題にあがるほど、埼玉は何かとダサいと言われがちです。

しかし、「ださいたま」の元ネタを言った人はだれなのか、なぜ広まったのか気になる人もいるのではないでしょうか。では、「ださいたま」の生まれた経緯と埼玉がディスられる理由について、解説していきましょう。

「ださいたま」誕生のきっかけ

Photo by sabamiso

「ださいたま」という言葉が生み出されたのは1981年頃です。映画『翔んで埼玉』で「ださいたま」という言葉が生み出されたと思われがちですが、元ネタ自体は40年前から存在していました。最初はとあるラジオのコーナーでのみ取り上げていました。

当時はインターネットがなかったのにも関わらず、ラジオやテレビによって全国に知れ渡っていきます。

最初に「ださいたま」を言った人はタモリ

「ださいたま」を最初に言った人は、お笑いタレントのタモリです。『笑っていいとも』『タモリ倶楽部』などの番組で有名なタモリは、1976年から7年に渡ってラジオ番組『タモリのオールナイトニッポン』でパーソナリティを務めていました。

当時のタモリは毒舌家の一面があり、毒舌っぷりが全面に押し出されていた当時のラジオは、若者から密かな人気を集めていました。

楽曲「なぜか埼玉」がラジオで紹介される

Photo bySplitShire

タモリは、『タモリのオールナイトニッポン』のコーナー『思想のない歌コーナー』にて、歌手のさいたまんぞうの楽曲『なぜか埼玉』を紹介しました。

中身がスカスカで意味のないような歌詞をタモリが面白おかしく取り上げたことから、『なぜか埼玉』はご当地ソングであるにも関わらず、全国区に知れ渡ります。『なぜか埼玉』をきっかけに、タモリは埼玉に対して興味を持ちます。

竹の子族の衣装を「ダサい」と評したタモリ

Photo by Kentaro Ohno

「竹の子族」は、1980年頃に東京などで流行した若者集団です。派手な服装で着飾り、屋外でディスコサウンドに合わせて踊っているのが特徴です。

竹の子族に埼玉県民が多かったことから、タモリは竹の子族の派手な服装や垢抜けてないさまを「ダサい」と評しました。さらに『笑っていいとも』内で、埼玉のダサさをはやし立てる意味で「ださいたま」を連呼していきます。

「ださいたま」は全国に波及

タモリがださいたまを連呼することによって、ださいたまはテレビを通じて全国に知れ渡ります。全国の視聴者が「埼玉=ダサい」という意識を持つようになり、埼玉県が嘲笑されます。

しまいには、タモリが番組内で埼玉県庁に電話取材を試み、埼玉県議会で取り上げられる事態に発展します。ラジオコーナーで生まれたださいたまは、以上の経緯で全国に波及していきました。

ださいたまに対する県民の思いは?

Photo by Urawa Zero

昔ほど使われることはなくなったものの、埼玉をいじる際には十中八九、ださいたまと口にする人は多いです。しかし、埼玉県民全員がださいたまの風潮を許しているわけではありません。

アンケート調査を行っている『at home vox』では、「ださいたま」に対する埼玉県民のリアクションについて調査しました。

県民の受け取り方は十人十色

「ださいたま」と言われたときのリアクションは、誰に言われるかによって異なりました。東京都民・神奈川県民に言われたときにカチンときた人は約29%と低いですが、千葉県・北関東の場合、カチンときた人は40%を超えていました。

東京のような自分より都会に住んでいる人間に言われてもしょうがないと思う一方、千葉県や北関東よりは上の立場だと考えていることが伺えます。

埼玉新聞では紙上討論会が開かれる

フリー写真素材ぱくたそ

県民だけでなく、埼玉県にとっても「ださいたま」と揶揄される状況を深刻に捉えていました。紙上討論会では、当時の埼玉県知事や大学教授、さらには所沢出身の所ジョージが意見を主張しました。

埼玉大学の小野文雄によれば、東京などが服装のセンスや性格などについて、埼玉を下に見ることで自身に優越感に浸りたいという心理が働いていると主張しています。

県は「ださいたま」脱却に奮闘

とはいっても、「ださいたま」の風潮を野放しにするわけにはいきません。1992年に埼玉県知事として就任した土屋義彦は、「ださいたま」脱却に乗り出します。土屋は、以前から東京のベッドタウンというイメージが強かった埼玉を、自立的な都市に変えようという思いがありました。

土屋は、公園の整備、新しい愛称を定めて広めるなどの対策を講じて、イメージアップに努めてきました。

「彩の国」を生み出しイメージアップを推進

Photo by Norisa1

土屋は「埼玉にはさまざまな魅力がある」という思いを込めて「彩の国」という愛称を制定しました。「彩の国」は、県の広報誌「彩の国だより」や「彩の国くまがやドーム」などの施設名に付けられています。

ほかにも、埼玉スタジアム2002やさきたま古墳公園を整備したり、さいたまスーパーアリーナでバスケットボールの大会を開催したりして、イメージアップを図りました。

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