京大坂道はどんな街道?
京大坂道には、2つの特徴があります。1つめは、高野山までの距離が京大坂道以外の街道と比べて短く、登りやすい街道であること、2つめは、街道の一部が「京大坂道不動坂」という名前で、世界遺産に登録されていることです。
京大坂道は登りやすい街道
京大坂道は、他の街道を利用するよりも短い時間で高野山に登れるという、登りやすい街道です。距離は約9キロメートルで、町石道や黒河道の半分以下しかありません。
高野山までの距離の目安として、堺が起点の西高野街道から京大坂道の終点の女人堂までの間には、一里(約4キロメートル)ごとに道しるべが建てられています。
街道の一部が世界遺産に登録されている
京大坂道の一部である「不動坂」から「女人堂(にょにんどう)」までの間は、世界遺産に登録されています。2016年(平成28年)に、高野山一帯を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として、「京大坂道不動坂」という名称で世界遺産になりました。日々、多くの観光客が訪れています。
京大坂道の観光スポットはここ
京大坂道には、起点の学文路(かむろ)から終点の女人堂(にょにんどう)までの間に、いくつもの観光スポットがあります。高野山を訪れる人々の多くが京大坂道を利用してきた名残を留めているのが、見どころです。世界遺産である「京大坂道不動坂」を始めとした、観光スポットの見どころを押さえておきましょう。
押さえておきたい見どころ4選
- 西光寺苅萱堂(さいこうじかるかやどう)
- 日本最後の仇討ち(あだうち)
- 不動坂といろは坂
- 女人堂(にょにんどう)
京大坂道には、西光寺苅萱堂、日本最後の仇討ち、不動坂といろは坂、女人堂という、観光スポットがあります。見どころを押さえておくと、高野山の信仰、仇討ちの歴史、世界遺産、女人禁制(にょにんきんせい)についての知識が深められます。
西光寺苅萱堂
「苅萱堂(かるかやどう)」は、歌舞伎や文学になった「石童丸物語」という悲話の舞台で、人魚のミイラが祀(まつ)られています。「石童丸」少年の母親が信仰していたことから、ミイラは高野山の信仰の資料として、有形民俗文化財に指定されました。
ミイラはうろこが付いた魚の姿で、全長は約60センチメートルです。隣接する西光寺が管理をしています。
日本最後の仇打ち
「日本最後の仇討ち」は、男性7人が仇討ち(復讐として斬ること)をされた場所です。仇討ち事件があった1871年(明治4年)の2年後、仇討ち禁止令が出され、日本最後の仇討ちの場所となりました。
「日本最後の高野の仇討ち」という解説板で、どうして仇討ちが起こったのかを学べます。解説板から5分ほど歩いた場所に、仇討ちされた7人の墓があります。
不動坂といろは坂
「不動坂」と「いろは坂」は世界遺産に登録されている「京大坂道不動坂」にある、昔の街道の名残を留める坂です。
京大坂道不動坂には、いろは坂を通る旧道と、舗装された新道の2つがあります。いろは坂がある旧道は舗装されておらず、昔の人々と同じように歩けます。旧道は、2021年(令和3年)4月1日から2022年(令和4年)3月18日まで、通行止めです。
女人堂
「女人堂(にょにんどう)」は、女性たちが祈りを捧げるために建てられました。京大坂道の終点です。高野山の周辺の他の場所にもあった女人堂は、京大坂道の1ヶ所だけが残されています。女人禁制の歴史を知る上で、最も重要な見どころの1つです。
大日如来(だいにちにょらい)、役行者(えんのぎょうじゃ)、弁財天が祀(まつ)られており、御朱印をいただけます。
出典:ライター撮影