スリランカとは?
スリランカ(スリランカ民主社会主義共和国)は南アジア・インド亜大陸南東のインド洋に浮かぶ島国の共和制国家です。この国の人口は約2100万人で、メインアイランドをセイロン島といいます。1948年にはイギリスから独立しましたが、現在はイギリス連邦に加盟している状態です。スリランカの言語シンハラ語で、「スリ」は聖なる、光り輝くという意味、「ランカ」はセイロン島を指す固有名詞であると言われています。
首都
スリランカの首都はスリジャヤワルダナプラコッテで、西部に位置している都市です。スリジャヤワルダナプラコッテという名前が長すぎるため、通常は「コッテ」や「コーッテ」と言われています。スリジャヤワルダナプラコッテは同国最大の都市コロンボの南東10キロメートルの位置で、市街地はコロンボから連坦しており、事実上はコロンボの一角とされているようです。
気候
スリランカの気候は、基本的に北東部と南西部とで大きく2つに分けられます。北東部は10月~3月が雨季、5月~9月が乾季で基本的には乾燥しているような気候です。平均気温も30度近くと暑くなっています。南西部は 4月~6月、10月~11月が雨季で、12月~3月が乾季です。コロンボなどの都市の平均気温は高いですが、高原部の都市などは涼しく、非常に過ごしやすい気候になっています。
言語
スリランカの公用語はシンハラ語とタミル語の2つで、連結語として英語も憲法上認められていますが、シンハラ人はシンハラ語を、タミル人やムーア人はタミル語をそれぞれ日常的に使用しています。割合的には1割程度と少数であるものの、ポルトガル・オランダ・イギリス人との混血の人々は英語を母国語としており、スリランカ社会における指導的役割を担っているようです。
スリランカの宗教
スリランカの宗教の割合
スリランカには主に4つの宗教が存在します。1つ目は、国民の約70パーセントの割合を占める仏教。2つ目は、約12パーセントの割合のヒンドゥー教、3つ目は、約10パーセントのイスラム教と4つ目で約8パーセントのキリスト教の4種類です。
スリランカの仏教
スリランカの仏教は、分別説部の流れを汲んだ上座部仏教です。スリランカでは、シンハラ人を主に信仰を集めています。スリランカの仏教が東南アジアのミャンマー・タイなどの国へ伝来して広まったとされています。
スリランカのヒンドゥー教
スリランカでヒンドゥー教を信仰するのは、主にタミル人です。タミル人の多くは、インドの南部に居住していますが、一部はスリランカに移住してきました。スリランカでは珍しいカースト制度も導入されており、少し特殊な宗教です。国内の多くの建築物は、仏教などによるものが多いですが、ヒンドゥー教の建築物で残されているもの少しあります。
スリランカのイスラム教
スリランカ国内では、ムーア人、インド系、マレー人の人々達が主にイスラム教を信仰しています。スリランカにイスラム教が伝来し始めたのは、8世紀にアラブ商人が訪れた際からです。途中でポルトガル人などによって迫害された事情はあるものの、マレー系ムスリムやインド系のムスリムが到来したことによって、イスラム教の成長に拍車がかかりました。
スリランカのキリスト教
スリランカのクリスチャンのほとんどは、カトリック信者ですが、そのキリスト教は、スリランカをポルトガルやオランダ、イギリスの植民地だった時代に伝来しました。現在では、ポルトガルやオランダ、イギリス人と現地の人々の間で生まれた人々を中心にキリスト教が信仰されています。
スリランカの宗教問題・対立事情
スリランカで宗教・民族対立が起きている原因
上記で記したように、スリランカでは主に仏教を信仰するシンハラ人とイスラム教を信仰するタミル人が居住しています。もともとは、その2つの民族をは混住していましたが、イギリス植民地時代にイギリス政府によりタミル人がシンハラ人を統治する政策がとられ、スリランカ独立後に、その反動としてシンハラ人をタミル人より優遇する政策が開始されてから民族間の対立が深まりました。
イスラム教徒タミル人のテロ組織
スリランカにはかつて、武装闘争を行っていたタミル人のテロ組織「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」がありました。彼らの活動目的は仏教徒・シンハラ人の治めるスリランカからの分離独立で、スリランカ国内で幾度も内戦を起こしてきた組織で、事実上の首都を同国北部の都市・キノリッチに置いていたようです。
スリランカでの内戦事情
スリランカでは、スリランカ政府軍と独立を目指すテロ組織・LTTEとの対立で4度にも及ぶイーラム戦争が起きました。当初、政府軍はアメリカから資金援助を受けていましたが、人権侵害などの事情により援助を打ち切られることになります。しかし、その後は中国やパキスタンなどから資金援助を受け総力戦を開始、テロ組織・LTTEもそれに反発したことなどにより内戦問題が長期化していきました。
内戦で起こった人権問題
4度あったイーラム戦争の最後の内戦では、民間人が大量に犠牲になりました。スリランカ政府軍は、LTTEの幹部をとらえた際に、捕虜にすることなく殺害、一般市民への攻撃、LTTEは自爆攻撃、民間人への強制労働を行ったりするなど、政府軍、LTTEの双方に人権違反が確認されています。
スリランカ内戦後
4度にもわたるスリランカ国内での内戦により、28万人ものタミル人が国内避難民となり、帰還・再定住が進んでいます。内戦終了後のスリランカのGDPは上昇傾向にあり、経済成長進んでいる状態です。特に、LTTE支配地域であった北部での経済成長率が国内で最も伸びています。地雷の撤去も進んでおり、選挙も実施されるなど復興が進んでいますが、内戦中に起きた人権規約違反については、いまだに議論が行われているそうです。
新たな宗教対立
スリランカ同時爆破テロ
仏教徒とヒンドゥー教徒間での内戦は終結しましたが、2019年4月21日にスリランカ同時爆破テロがイスラム過激派によって引き起こされました。残念なことながら礼拝中の人が多く訪れていたキリスト教教会や、外国人観光客が多く滞在する高級ホテルを標的に自爆テロが起きてしまいます。死者が258人にも上るこの攻撃により、さらなる宗教対立が深まったほか、スリランカ経済を支える観光業に深刻なダメージを与えました。
スリランカの有名都市
コロンボ
コロンボは、かつてのスリランカの首都で、セイロン島南西に位置するスリランカ最大の都市です。都市名の由来は「マンゴーの樹の茂る海岸」という意味のシンハラ語が、ポルトガル語の「クリストファー・コロンブス」の名前のコロンボに置き換えられたものになります。コロンボには多くの大企業や施設が設置されており、南アジア有数の都市です。
キャンディ
キャンディは、セイロン島中央に位置する同国第2の都市です。この都市は、スリランカの仏教における聖地で、仏教を信仰するシンハラ人の最後の王朝の首都で、現在では世界遺産に登録されています。標高が高い丘陵地帯であるため、気温も国内では比較的涼しいことから、富裕層の住民や観光客が多く集まる避暑地として有名です。
ヌワラエリヤ
ヌワラエリヤは、セイロン島中部に位置する都市で、イギリス人などの入植者などによって開拓され街ができました。そのため、街にはイギリス植民地時代の建築物が多く残されている状態です。イギリスの紅茶文化の影響としてできた、世界的に有名な紅茶・セイロンティーはこの地で多く生産されています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?今回はスリランカの宗教やそれぞれの信者の割合、宗教対立などを細かく説明させていただきました。最近では同時爆破テロなども起きており、何かと物騒になったスリランカですが、観光や仕事で訪れる方は安全に気を付けてスリランカに渡航するようにしましょう。