ハワイ州の歴史
時期 | できごと | |
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18世紀末 | 欧米人の文化や助言のもと、ハワイ王国を建国 | |
ハワイ王国 | 初期 | キリスト教が広まる |
中期 | 欧米列強の圧力に抗い、近代国家の体裁に | |
白人の入植者が経済を牛耳る | ||
後期 | アメリカ経済に依存し、併合を希望する声も | |
白人がクーデターを起こす | ||
ハワイ共和国 | 併合は見送られ、白人が建国 | |
アメリカ合衆国 | ハワイ準州 | アメリカの法律で白人が支配 |
米軍基地として注目される | ||
ハワイ州 | 州の法律で支配 | |
米国内の旅行地として有名に |
ハワイ王国の時代(1795~1893年)
正式名称 | ハワイ王国 |
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Kingdom of Hawaii |
ハワイ王国の時代には、さまざまな民族の暮らすハワイ州の原型ができ、社会や生活習慣は近代の欧米式に一変しました。
ハワイ王国は、西欧の援助を受けつつハワイ人の手で建国し、併合の危機にさらされながら近代化を進めます。しかし、国内の経済・政治は白人の入植者が牛耳り、対外的にはアメリカ経済に組み込まれ、最終的には親米派の白人が王国を倒しました。
カメハメハ大王による初の諸島統一
18世紀末、ハワイ諸島は島ごとに勢力を争っていましたが、1810年にカメハメハ大王により初めて統一されます。勝因は、港の提供や島の産品と引き換えに、西欧人の武器や統治法を取り入れたことでした。
大王は外交の習慣もなかった時代に、西欧と渡り合ってハワイ諸島を守った建国の祖でもあり、イオラニ宮殿の向かいに立つ像は現代でも有名です。
キリスト教文化を受容
ハワイ王国は、1820年にアメリカから宣教師が渡り、初の教会・カワイアハオ教会が建って以降、キリスト教文化を受け入れていきます。当時のハワイ王国は、欧米の文化を見て常識が壊され、社会をしばっていたカプ制度と宗教を手放した時期でした。
宣教師たちは、布教のためにハワイ語を文字化してハワイ語版の聖書を配り、学校を設立させ、社会を欧米式にしていきます。
欧米人によるプランテーション農場経営
ハワイ王国では、近代化のもとで土地を分配したことを機に、白人が大農園を開き、ハワイ人をサトウキビ栽培に使う構造ができました。多民族社会の成り立ちも同じ時期で、持ち込まれた疫病で減っていた人口を増やすために移民を呼び込んだことが始まりです。
大農園での砂糖生産は利益も大きく、砂糖は貿易でつながりを深めていたアメリカに大量に輸出され、ハワイ経済は一気に潤います。
欧米人によるクーデター
砂糖産業でお金が入ったハワイ王国では、農園主である白人が経済・政治を牛耳るようになり、最終的にクーデターを起こしました。
19世紀末、アメリカが国内産業を保護するようになってハワイの砂糖産業は大きく落ち込み、アメリカ併合を求める声が大きくなります。親米派の白人は、リリウオカラニ女王がハワイ人の復権をもとめたのを機に、米海軍とともに王国を倒しました。
ハワイ州になるまで(1893~1959年)
ハワイ王国が倒されハワイ州になるまでは34年の年月があり、アメリカの事情に左右されつつ、白人が中心となる時代が続きます。併合されてからは本土の法律で支配され、ハワイ人も政治に参加できるようになる一方で、欧米以外の文化は軽視され、アジア系に対する民族差別が強まりました。
戦後になると、復員した日系人を中心とするアジア系が各界に進出し、州化運動を進めます。
ハワイ共和国を樹立
正式名称 | ハワイ共和国 |
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Republic of Hawaii |
ハワイ共和国の時代には、親米派の白人が名実ともにハワイ社会をつかさどる体制ができ上がります。白人たちはすぐにもアメリカ併合を求めましたが、リリウオカラニが本土で抗議したこともあり、アメリカ政府は国内外の世論を意識して断りました。
アメリカ合衆国ハワイ準州になる
正式名称 | アメリカ合衆国ハワイ準州 |
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Territory of Hawaii |
ハワイ共和国は、米西戦争でアメリカが太平洋上に軍基地を必要としたため併合され、1900年にアメリカ合衆国ハワイ準州になります。準州時代には米軍基地が置かれたほか、アメリカの法律が適用されて、教育現場ではハワイ語が禁止されたり、お金持ち向けの国内旅行先としての開発が始まったりしました。
第2次世界大戦で日系人が活躍
ハワイ準州は白人優位の社会でしたが、第2次世界大戦で日系人が活躍したことで、戦後になると日系人が各界の指導者として活躍します。
日系人は白人の農園経営者が支持する共和党に対抗して、民主党の土台をつくりました。社会の下層にいたアジア系の人々は、法律を自分たちでつくれる州への昇格を強く希望し、アジア系に支持された民主党は州化運動を進めます。
アメリカ合衆国ハワイ州に昇格
正式名称 | アメリカ合衆国ハワイ州 |
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State of Hawaii |
ハワイ準州は戦前からの州化運動を経て、1959年にアメリカ合衆国ハワイ州に昇格しました。併合に時間がかかったのは、戦前のハワイはアジア系が多く(日系人だけで4割)、当時の科学では黄色人種を危険視していたためとする説もありますが、真偽は不明です。
ハワイ州は全米初のアジア系人の州知事を生んだり、労働環境や男女差別の是正にも積極的に取り組んだりしていきます。
ハワイ州になってから現在まで(1959年~)
ハワイ州になってからは、旅行が庶民のものになり、旅行産業が州の主要産業に替わります。
文化面では、先住民のハワイアン文化への関心が高まり、ハワイアン音楽に始まりフラ・航海術・ハワイ語などが見直されました。ハワイアン文化への注目は、「近代化のなかでうばわれたハワイアンの地位・権利を取り戻そう」という政治的な運動につながります。
旅行産業で発展
ハワイ州は、州への昇格やラジオ・映画の宣伝により「楽園」として国内・日本で名を広め、旅行産業が発展します。1970年、本土間の航路に大型ジェット機が配され旅行券代が下がると、旅行が庶民のものになり、旅行産業が経済の主軸になりました。
経済は上を向いたものの、開発によりハワイアンの遺跡を壊し、伝統的な住居から立ち退かせたため、ハワイアンは生活が苦しくなります。
ハワイ文化復興運動
1970年代以降、ハワイアンの文化を復活させ生活に取り入れる動きが、大学の研究者やハワイ市民のあいだで始まります。ハワイ州政府はハワイ語を公用語に加え、学校現場にハワイ語のクラスを設け、地名をハワイ語表記に戻しました。
運動のきっかけはアメリカ先住民が政府に権利を主張したことであり、ハワイアン文化を日常に取り入れる動きは現代へとつづきます。
ハワイ州の歴史をしって魅力を再発見しよう!
ハワイ州の土台ができたのはハワイ王国時代!数々の歴史があった!
ハワイ州の歴史をしってから現地を訪れると、気づきが増えて新たな魅力を発見できます。ハワイ州は、近代化の歴史のなかで多くの民族の移民が入ったので、英語以外の言語も多く飛び交い、異国感も懐かしさもある州です。
諸島の成り立ちや州になるまでの歴史は長いですが、火山をはじめとした大自然や、守り伝えようと取り組んでいる言語や文化などがあり、歴史を肌で感じられます。
出典:写真AC