目次 [表示]
- シンガポールはどのように発展してきた?
- 現代のシンガポール
- シンガポールの位置
- シンガポールの特徴と文化
- シンガポールの成り立ち
- 19世紀初頭までのシンガポール
- ラッフルズのシンガポール上陸(1819年)
- イギリス植民地時代の歴史(1819~1941年)
- 自由貿易港としての発展
- 移民の流入
- イギリス植民地時代のシンガポールの特徴
- シンガポールと日本の関係性(1942~45年)
- 日本軍によるシンガポール占領
- 日本軍による中国系住民虐殺と強制献金
- 日本統治下のシンガポール社会
- シンガポール独立までの歴史(1945~65年)
- イギリスの直轄植民地化と自治政府の成立
- マレーシアへの加入
- シンガポールの単独国家化
- シンガポール独立後の歴史(1965年~)
- リー・クアンユー時代(1965~90年)
- ゴー・チョクトン時代(1991~2004年)
- リー・シェンロン時代(2004年~)
- シンガポールは波乱万丈の歴史を歩んできた
イギリス植民地時代の歴史(1819~1941年)
ジャングル同然だったシンガポールはイギリスの植民地に入り、自由貿易港として急速に発展していきました。発展に伴い、仕事を求めてアジア各地からシンガポールに移民が集まってきました。流入した移民によって現代のシンガポールの多様な文化が築かれてゆきます。
自由貿易港としての発展
自由貿易港シンガポールの貿易は、外国から輸入した商品を別の国に再輸出する中継貿易が中心でした。開港から1年ほどで、シンガポールはマラッカを凌駕して、東南アジアを代表する中継貿易港に発展しました。植民地時代のシンガポールは、アジアにおける地域拠点の役割を持っていました。
移民の流入
シンガポールが自由貿易港として発展すると、仕事を求めてアジア各地から移民が集まってきました。シンガポールが植民地化された時、住民数は150人ほどでしたが、2019年の統計では現代のシンガポールの人口は約564万人で、現代のシンガポールの住民はほとんどが19世紀以降の移民者の末裔です。
移民者の出身国は、マレーシア、中国、インドが主でした。
イギリス植民地時代のシンガポールの特徴
アジア各地から移民が集まって来たイギリス植民地時代のシンガポールは、民族、言語、宗教によって分かれた社会でした。移民は民族別に居住地が指定され、それぞれの民族が分かれて住んでいました。一つの民族の内部でも出身地や言語によって分節が生じていました。
「シンガポール人」として一つにまとまることのない社会だったのです。
シンガポールと日本の関係性(1942~45年)
イギリス植民地時代、日本人もシンガポールに出稼ぎに来ていました。売春婦である「からゆきさん」は有名です。日本によるシンガポール占領以前にもシンガポールと日本の関わりはあったと言えます。しかし、シンガポールと日本の関係性の中でも、日本による占領期について見ないことはできません。
日本軍によるシンガポール占領
日中戦争で中国沿海部を占領した日本は東南アジアを次の目標にしました。しかし、東南アジアに進撃するためには、シンガポールのイギリス軍事基地が障害でした。1942年、シンガポール総攻撃の体制を整えた日本軍によって、シンガポールは一週間で陥落し、日本による占領期が始まります。
占領期、シンガポールは「昭南島」と呼ばれました。
日本軍による中国系住民虐殺と強制献金
日本は中国との戦争で苦戦を強いられた一因として、シンガポールなどの移民中国人が中国を支援していたことがあるのではないかと考えていました。そのためシンガポールの中国系住民を検証し、日本軍が反日的、共産主義的、親イギリス的であるとみなした人々を虐殺しました。
さらに日本は統治に必要な費用を中国系住民から寄付の名目で調達しようとし、献金の負担は人々を苦しめました。
日本統治下のシンガポール社会
日本統治下では憲兵隊による恐怖統治が行われ、経済生活も大混乱しました。日本統治下の過酷な環境の中で、一部の知識人に外国人には自分たちを支配する権利はないというナショナリズム意識が芽生えました。ナショナリズム意識はシンガポール独立に向けた道の一歩になってゆきます。