百人一首は恋の詩が実は一番多い!
百人一首はいくつかのジャンルに分類できますが、とりわけ恋の詩は一番多い43首です。次に四季の詩が32首、雑「ぞう」(その他)に関するものが20首、旅に関するもの4首、離別1首と分類されます。恋愛に関する詩が多いのが特徴です。
百人一首は藤原定家があくまでも私的な立場で選んだものであり、個人の好みが表れている、いわばベストセレクションともいえます。
現代とは違う恋愛事情
百人一首が作られた時代、つまり平安から鎌倉時代の貴族の恋愛は現代のように直接会ってデートを重ねてから結婚するという流れではありません。
高貴な女性は人前に出ず、男性らは世間のうわさ話から想像をめぐらし、顔も知らないような女性にアプローチするというのが一般的でした。恋愛において重要な役目を果たしたのが詩であり、女性は待つ詩、男性は訴えかける詩が多いです。
恋が成就すればラブレター・振られたときは芸術作品
当時の貴族たちにとって、詩は生活の一部をなしていました。詩のできいかんで出世や人間関係にも影響が及んだのです。恋愛においては男性が求婚の詩を贈り、女性はイエスなら詩を返します。逆にノーの場合は世間に公表しますが、贈った詩のでき栄えが良ければ、世間から認められ芸術作品となるといった面もありました。
百人一首の有名な恋の詩8選
百人一首には多くの恋の詩がありますが、有名な恋の詩が8つあります。和歌の名人三十六歌仙から4人と、天皇、女性歌人、光源氏のモデルと称される人物、百人一首の撰者の計8人です。三十六歌仙とは、藤原公任が「三十六人撰」で取り上げた和歌の名人のことで、百人一首を代表する歌人25人が入っています。
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は
詩番号・40
- しのぶれど 色に出にけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで
使用されている言葉の意味
しのぶれど:人に知られまいと心の中に秘めているのにという意味です。
色に出にけり:色彩ではなく、表情や顔色のことを指します。
物や思ふと:物は恋に関する思いのことです。
現代語訳
今までひそかに隠してきたけれど、ついに「何か思い悩んでいるのか」とたずねられるほどに顔色に出てしまいました。
作者:平兼盛
生没年 | 未詳~990年 |
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プロフィール | 平兼盛は、元は皇族の身分で兼盛王と名乗っていました。のちに巨籍降下(皇族が「姓」を賜り皇族ではなくなること)をし、平という名字を名乗ります。三十六歌仙を代表する一人に数えられています。 |
恋心が思わず顔に出てしまう
片思いの気持ちが思わず顔に出てしまったという恋心の高まりを表した詩です。「色に出にけり」の部分が人に知られてしまった心情を説明しています。現代でも、隠しきれずに好きな感情が自然に出てしまい、ほかの人から指摘されて、顔から火が出そうということはありますね。
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
詩番号・41
- 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
使用されている言葉の意味
恋すてふ:恋しているという意味です。(音読する場合は「こいすちょう」と読みます)
まだき:まだその時期にならないうちに早くもという意味です。
現代語訳
誰にも知られないようにまだ胸のうちで思いはじめたばかりだというのに、恋しているという私のうわさは早くも立ってしまいました。
作者:壬生忠見
生没年 | 未詳 |
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プロフィール | 壬生忠見は官位が低く貧しい暮らしだったとされますが、のちに摂津(現在の大阪府北中部から兵庫県南東部にあたる場所)の国司になったとされます。父(父は詩番号30番の忠岑)とともに三十六歌仙を代表する一人です。 |
秘めていたはずの恋心が皆に知られ戸惑う
ひそかに思いはじめたばかりの思いなのに早くもうわさが立ってしまったと戸惑っている片思いの様子を表しています。学校や会社などでもうわさが立つのは早いです。いつの時代も変わらないものですね。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
詩番号・3
- あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
使用されている言葉の意味
山鳥:キジ科の鳥のことです。夜に雄と雌がわかれて寝るとされ、ひとり寝に関連づけて描いたとされます。
ひとりかも寝む:ひとりを強調しています。
現代語訳
夜になると雄と雌が離れて寝るという山鳥だが、山鳥の長く垂れ下がった尾のように長い夜を一人で寂しく寝るのでしょうか。
作者:柿本人麻呂
生没年 | 未詳 |
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プロフィール | 柿本人麻呂は7世紀末から8世紀初めの宮廷歌人です。素顔や身分など素性はわかっておらず謎の多い人物です。三十六歌仙の代表的な一人であり、平安時代以降は歌聖と尊敬されました。 |
秋の夜長にひとり切ないさみしさ
秋の夜長、恋人と離れて過ごす寂しさを歌った恋歌です。両思いなのに自由に会えず限られた連絡手段しかなく、恋しい相手を思い一人寝の切ない思いを呟いています。通信手段が発達した現代ですが、愛しい人を思う気持ちは普遍的で、恋の切なさは今も昔も変わらない感じがしますね。
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに
詩番号・14
- みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに
使用されている言葉の意味
みちのく:東北地方の太平洋側の古い呼び名で「道の奥」が縮まったものです。
しのぶもぢずり:織物(すり染め)のことで忍ぶ気持ちを名前にこめています。
我ならなくに:私ではないのにという意味です。
現代語訳
みちのくのしのぶもじずりの乱れもようのように、心が乱れてしまいました。私のせいではないのに、誰のためにこうなったのでしょう。
作者:河原左大臣(源融)
生没年 | 822~895年 |
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プロフィール | 源融は嵯峨天皇の皇子で、のちに巨籍降下し左大臣となり源を名乗ります。京の東に河原院という邸宅を造営したため河原という号がつきました。相当な財力の持ち主であり、プレイボーイとしても有名であったとされます。 |
恋にみだれる心
浮気を疑った女性へ男性が贈った歌です。非を責める女性の矛先をかわして逆に責め立てている様子は作者がプレイボーイだけありさすがといった感じでしょう。代表的な忍ぶ恋の詩ですが誰にも知られないよう、秘めた心の切ない思いは暴走しそうです。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
詩番号・77
- 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
使用されている言葉の意味
瀬をはやみ:瀬は川が浅く流れが急な部分のことを言います。
岩にせかるる:せき止められてという意味です。
滝川の:急流、激流のことを表しています。
現代語訳
浅瀬の流れが早いので、岩にせき止められて滝川は二手にわかれてもいずれ合流するように、今はあなたと離れても行く末は再び会おうと思うのです。
作者:崇徳院
生没年 | 1119~1164年 |
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プロフィール | 崇徳院は鳥羽天皇の第一皇子であり、第75代崇徳天皇です。5歳で即位しますが、父の鳥羽院に23歳で退位させられます。保元の乱を起こしますが敗れたため讃岐に流されてしまいます。 |
今は別れても将来は必ず結ばれると宣言
両思いの詩です。今は周りの人に引き裂かれてもいつか一緒になろうという強い決意が「ぞ思ふ」という結びに表れています。しかし天皇の歌としては激しすぎ一見恋愛の歌でありながら帰郷できなかった崇徳院の思いも読み取れる詩でもあります。
逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
詩番号・43
- 逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり
使用されている言葉の意味
逢ひみての:男女が逢って契りを交わすことです。
のちの心に:恋が成就したあとの気持ちを表します。
昔:恋が成就する以前のことです。
物を思はざりけり:昔は物思いをしなかったにも等しいという意味です。
現代語訳
あなたと契りを結んだ後の恋しい心に比べれば、以前の物思いなどなきに等しいものでした。
作者:権中納言敦忠(藤原敦忠)
生没年 | 906~943年 |
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プロフィール | 藤原敦忠は琵琶の名手で琵琶中納言とも称され、恋多き貴公子であったといわれています。歌番号38番の右近と恋愛関係にあったとされます。三十六歌仙の一人です。 |
相手を切ないほどに思って詠んだ恋の歌
百人一首のうち、きぬぎぬの歌(結ばれた後に贈る詩)は3首ありそのうちの一つです。一夜を過ごした後と前とではまったく違い両思いでありながら前より切なくて苦しいと、ストレートで情熱的な気持ちを詠んでいます。敦忠から詩をもらった女性は、きっと次の夜も彼を待つのでしょう。
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
詩番号・38
- 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな
使用されている言葉の意味
誓ひてし:永久に心変わりしないと私への愛を神に誓いました。
人:愛を誓いあった男性を示します。
惜しくもあるかな:(誓いを破ったため神仏により失われる)あなたの命が惜しまれることですよ。
現代語訳
忘れられるわが身のことは何とも思いません。ただ、神前に愛を誓ったあなたの命が神罰で失われるのではと心配でならないのです。
作者:右近
生没年 | 未詳 |
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プロフィール | 右近は醍醐天皇の中宮隠子に仕えた女房です。右近という名前は父の右近衛少将藤原季縄の官命からきています。優れた女性歌人の代表であり、歌合での活躍が記録に残っています。 |
繊細な女心かそれとも恨み節か
別れても相手の身を案じる、けなげな女性の心を歌っているのか、それとも裏切った相手の不幸を願う気持ちを歌っているのか、どちらの気持ちでしょう。恋がうまくいっているときには前者、失恋後なら後者、いつの時代も女心は難しいものです。
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
詩番号・97
- 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
使用されている言葉の意味
まつほの浦:松帆の浦は淡路島北端の海岸のことです。松に待つをかけています。
藻塩:塩を作るために焼く海藻のことです。
身も焦がれつつ:藻塩が焦げると、思い焦がれるをかけています。
現代語訳
こない恋人を待つ私は、松帆の浦の夕なぎに焼く藻塩のように恋の思いに身を焦がして日々過ごしています。
作者:権中納言定家(藤原定家)
生没年 | 1162~1241年 |
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プロフィール | 藤原定家は百人一首の撰者です。父は詩番号83番藤原俊成で、父に学び新古今花壇の中心的人物として活躍し、多数の古典を書き写しました。 |
いつまでも来ぬ恋人を待つ女性の心情を夕なぎと重ねる
恋人を待つ女性の立場で詠んでいます。松の並木が見える夕なぎの砂浜からは、藻塩づくりで海藻を焼くたき火の煙が上り少し離れた場所では海を眺めて待つ女性がたたずむ非常に詩的なワンシーンです。いつまでも待つ身の女性の心はじりじりと恋焦がれ悲恋を予感させます。
百人一首の恋模様
権中納言敦忠は右近の恋人とされています。しかし「逢ひみての…」歌は右近へあてたものではありません。一方右近も恋多き女性で、敦忠以外にも、そうそうたる男性と関係があったといわれています。
ほかにも百人一首の中の登場人物の相関関係はいろいろあり、片思い、両思い、複雑な関係が多く今ならドラマになりそうな恋愛関係がたくさんあります。
百人一首よもやま話
平兼盛・壬生忠見の歌は960年に村上天皇が主催した「内裏歌合」で「恋」というお題で詠まれたもので、現代まで伝わるほどに有名な歌です。両者ともあまりにもでき栄えがよく勝敗を決めかねていたものの「忍れど…」と天皇が口ずさんだため勝利したとされています。
歌合で組み合わされて以来、文学史上、常につがえられて観賞され一対で選抜されているのは兼盛と忠見の歌だけです。
歌合は真剣勝負の場
壬生忠見は平兼盛に歌合で負けたことで落胆のあまり死んでしまったという逸話まで残されています。歌合とは当時の貴族たちにとって歌の優劣を競いあうみやびな遊びでしたが、真剣勝負の場でもありました。和歌を詠むことが大切な教養と考えられていた時代、並々ならぬものがあったのでしょう。
百人一首の恋の詩は現代でも切なく響く
詩は当時の貴族にとって欠かせないツールでした。百人一首の詩からはみやびなだけではない恋愛模様も見えてきます。
現代ではメール・電話・SNSなど連絡手段は豊富にあり、不便さはないでしょう。しかし、いにしえの人々と現代の人々との間に千年以上の時が流れても、片思いやうまくいかない恋の切ない思いはそれほど変わりないのではないでしょうか。
出典:写真AC