独立から発展の歴史
1945年、戦争に敗れた日本がアメリカに降伏し、シンガポールから撤退をすると戦勝国であるイギリスがすかさず戻ります。シンガポールとマレー半島は「マレー連邦」として再びイギリスの植民地にされました。
しかし、当時のイギリスには戦前ほどの支配力はもはや残っていませんでした。住民の独立運動や厳しい国際世論に抗えず、イギリスはシンガポールから撤退をしていきました。
シンガポール共和国誕生
1965年「シンガポール共和国」が誕生します。1963年、シンガポール、マラヤ連邦、サバ・サラワク両州と共にマレーシア連邦が誕生したが、全マレーシア国民を同様に扱おうとするシンガポールに対し、マレーシアは経済力の弱いマレー人の優遇政策を推進しました。
両者の融和は上手くいかず、シンガポールがマレーシアから追い出される形で「シンガポール共和国」が誕生しました。
新しい国の形
資源に乏しい小国として誕生したシンガポールは、強い危機感を抱きながら、新たな国の形を模索していきました。
公営団地の建設による持家政策、外国企業の誘致、市場開放により世界の金融機関の投資の誘致、汚職を許さないクリーンな政府作り、物流や金融、イスラエル型国防体制の構築、医療など、多くの分野における東南アジアのハブ国としての強化政策などを打ち出していきます。
日本に学べ
1979年、「日本に学べ」キャンペーンが始まります。日本の職業倫理、文化、技術習得などを目指すもので連日のようにマスコミが「日本に学べ」と叫びました。
シンガポールには旧来からの儒教的価値観が根強く残っており、スーツを着てオフィスに座る仕事が上等であり、油で汚れるような仕事は下等だという風潮がありましたが旧来の風潮は近代化を妨げると考えられるようになりました。
2言語教育の推進
シンガポールは独立後、英語と各民族の母国語を併用する「2言語政策」を始めます。シンガポールの多くの子供たちは、幼少期からバイリンガルとして育てられました。英語を話せる人口が増えたことで、外国企業の誘致を積極的に行い、飛躍的な経済的発展を遂げていきます。
観光大国としての成功
シンガポールは世界有数の観光大国となり、マリーナベイサンズ、ナイトサファリ、多民族の文化や伝統を残すチャイナタウン、リトルインディアなどの名所があります。
他国と比べると圧倒的に観光資源の数は少ないにもかかわらず、国を挙げ、周辺の国々を巻き込みながらの観光政策を進めることにより、観光大国として成り立ちました。
シンガポールの人気の理由
シンガポールは、観光資源が乏しい特徴を逆手にとる観光戦略をとります。近隣諸国と共同で、各国のリゾート地の中継地点としての機能を強化しました。東南アジアで最大規模のハブ空港「チャンギ空港」はアジアにおける観光の要です。
マリーナベイサンズなどシンガポールならではの個性的な体験ができる施設の建築、医療などのサービス分野を強化を行い、医療観光客の誘致に成功しました。
シンガポールと日本のパートナーシップ
今のシンガポールと日本は経済的に切っても切れない関係国です。日本のサブカルチャーに興味を持ち、日本語を学ぶ若者も増えています。
しかし、日本軍による占領でシンガポールの人々に大きな傷を残した事実は決して消えません。今後も良好な関係を築いていくために、民間レベルにおける交流、歴史や文化の相互理解は欠かせないでしょう。
出典:photoAC