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ダッハウ強制収容所とは?過去の歴史や観光での見どころをご紹介!

ダッハウ強制収容所とは?過去の歴史や観光での見どころをご紹介!

人類の歴史の中には決して明るいものばかりではありません。時に罪深い歴史を紡ぐこともあります。そんな、人類の大きな過ちともいえる歴史を知ることができるのがダッハウ強制収容所です。ここでは、ダッハウ強制収容所の歴史や見どころ、行き方などをご紹介いたします。

目次 [表示]

ダッハウ強制収容所の歴史

元々は火薬工場だった

Photo bylapping

ドイツのバイエルン州ミュンヘンの近郊にある都市ダッハウにかつて存在したダッハウ強制収容所。もともとは、第一次世界大戦中に火薬工場でしたが、ドイツは第一次世界大戦に敗戦します。その後、工場跡地となっていたところをヒトラー率いるナチ党がナチス親衛隊の兵営の予定地として購入したことからダッハウ強制収容所で起こる悲劇的な歴史が始まるのです。

最古の強制収容所

ダッハウ強制収容所は、ナチスが作った強制収容所の中でもオラニエンブルク強制収容所と並ぶ最古の強制収容所です。後にマイダネック絶滅収容所など続々とドイツ各地にできる強制収容所のモデルとなったと言われています。特にダッハウ強制収容所は、いち早く収容所規則などが体系化され、それが実践されたこともモデルである一因で言われる理由でしょう。

現在は観光地として形を残すダッハウ強制収容所

現在は、強制収容所の悲惨な歴史や実態を知るための貴重な場所として世界中の観光客が数多く見学に訪れています。ガス室やユダヤ人が生活していた収容棟など当時の様子をそのまま再現してあるので、ユダヤ人が実際にどのような環境で生活していたかを見学できる貴重な場所と言えるでしょう。ちなみに、別館もありますがそちらは難民やホームレスの保護施設として活用されています。

ダッハウ強制醜状所が地獄の場所となった理由

ダッハウ強制収容所の体系化

Photo byJordanHoliday

ダッハウ強制収容所は、ナチ党に批判的な政治犯の収容所として1933年3月22日に運営が開始されています。同年6月22日にテオドール・アイケSS(ナチス親衛隊)上級大差が所長として就任指定からでした。彼は、強制収容所の罰則を取り決め、囚人管理の体系化を整備するのです。のちに、アイケは強制収容所を取りまとめる強制収容所監視官と強制収容所監視部隊の司令官となります。そのため、強制収容所の基礎はこの時にできたといえるでしょう。

ユダヤ人迫害が激化したのは第二次世界大戦中

強制収容所が稼働していた当時、一度入ると死なない限りは自由になれない場所だと言われています。実際、強制収容所はユダヤ人を絶滅させるために稼働していましたが、その動きが激化したのは第二次世界大戦中のことです。第二次世界大戦前にもユダヤ人は強制収容所に収容されていましたが、いずれも国外への移住を条件に数週間で開放されています。

収容可能人数を超えた収容者

アイケによってドイツ各地に分散化された強制収容所がダッハウ強制収容所をはじめとする4か所に集中統合されます。時間の経過とともにドイツの戦況は悪化し、強制収容所の発覚を恐れたナチスは、前線に近い強制収容所の囚人を他の強制収容所に移送することを決断。ダッハウ強制収容所も移送先の1つであり、収容人数限界の9,000人をはるかに超える35,000人もの人が収容されることになるのです。

ダッハウ強制収容所の最後

劣悪化した環境

戦況の悪化に伴い、膨れ上がる収容人数。そして、不足する食料、続く強制労働に容赦なく行われる制裁、衛生管理の行き届かない環境は劣悪そのものといえるでしょう。そんな中で、収容所の人々を苦しめたのがチフスです。強制収容上に収監された人々は、1944年末から1945年4月29日に連合軍により解放されるまでチフスとも戦うことになります。

ダッハウ強制収容所と日系人

ダッハウ強制収容所と日系人とは実は縁のようなものがあります。1992年まで情報は解禁されていませんでしたが、ダッハウ強制収容所を開放に導くために収容所周辺の掃討作戦の中心を担ったのは日系人系アメリカ人の部隊です。彼らは元々アメリカで日系人の強制収容所に収容されていた人々であったため、この事実が隠匿されたのでしょう。

ダッハウ強制収容所の開放

ダッハウ強制収容所に転機が来るのが1945年4月29日のことです。連合国軍により強制収容所は解放されます。連合軍が見たものは、不衛生な環境の中にすし詰めにされ、骸骨のように痩せ細ったかろうじて生きている人々。ほかの収容所から移送途中に亡くなり、そのままに電車内に放置された死体といった地獄のような光景です。しかし、この日が死による自由を待つ人々に初めて生きる未来のある自由が訪れた日だといえるでしょう。

ダッハウ強制収容所の見どころ:ガス室

ガス室見学の見どころ①脱衣所

強制収容所に移送されてきた人々は、最初に労働力になるかどうかの選定を受けます。子供や老人、病気のある人など、労働力にならないと判断された人々が「シャワーを浴びろ」と言って最初に通されるのがこの脱衣所。大量の死体から服や貴金属を外す処理は手間が借ります。そのため、「シャワーを浴びさせる」という嘘で人々を自発的に裸にさせるのです。脱衣所は、死体の処理を簡単にするために用意された場所だといえます。

ガス室見学の見どころ②ガス室

ジェノサイドが行われたとされるガス室です。シャワーを浴びるために全裸になった人々をこの部屋に集め、天井から青酸系の殺虫剤を天井から投げ込みます。殺虫剤は燻蒸タイプのガスによっていぶされた人々の先にあるものは死です。この部屋に入った人々は約20分で死に絶えたと言われています。ガス室は確かにほかの強制収容所で稼働していましたが、ダッハウ強制収容所に建設はされたものの、使用されたという記録は残っていないのが現状です。

ガス室見学の見どころ③焼却炉

Photo byAlexas_Fotos

ガス室で殺された遺体は焼却炉へと運ばれて処理されることになります。これは、大量の人々を一気にジェノサイドし、最低限の労働力で遺体を効率よく処理するために作られたシステムだといえるでしょう。シャワー室と呼ばれていたガス室のある棟の屋根には大きな煙突があり、そこから昇る煙を見て明らかにおかしいと感じながらもそれを受け止めることしかできなかった被害者たちの心の痛みを考えることができる場所です。

ダッハウ強制収容所の見どころ:収容棟

収容棟見学の見どころ①:木製ベッド

Photo byAlexas_Fotos

こちらの木製ベッドは、強制収容所の人々の増員の歴史を如実に表している展示品です。最初のベッドは、二段ベッドではありますが、個人スペースが確保されており、ゆとりもあります。しかし、次にあるベッドは個人スペースがあるものの、男性が寝るには窮屈さを感じる狭さのもの。そして、最後は、個人スペースの仕切りもなく、ただ横になるだけの場所です。

収容棟見学の見どころ②:シャワー室

こちらは、ガス室ではなく、正真正銘のシャワー室です。当初は週1度のシャワータイムが実施されていたそうですが、戦況の悪化とともにシャワーの時間はなくなったとされており、実際に当時の衛生環境からみても事実だと考えられます。また、こちらのシャワー室には制裁に使われた鞭打ち台があり、見せしめのためにここに人を集め、恐怖により人々の心を委縮させ、支配していたのでしょう。

収容所見学の見どころ③トイレ

各部屋に設置されたトイレ。仕切りはなく、隣の人の排泄する姿も見られるし、自分の排泄姿も見られるという環境です。また、トイレの時間は1日2回、1人10秒と決められていたといわれています。そのため、収容棟の床には排泄物が溢れ、衛生環境は劣悪の一途をたどり、チフスなどの病気の原因となります。収容所の生活は人としての尊厳を奪われたものだったのです。

悪魔の所業・人体実験場

強制収容所と人体実験

Photo byPublicDomainPictures

各地の強制収容所では、さまざまな恐ろしい人体実験が行われています。それは、ダッハウ強制収容所も例外ではなく、収容されている人々を被験者にして当時のドイツ空軍の利益に繋がる実験が行われていたというのが実情です。これらは医学犯罪と呼ばれており、悪魔の所業として有名ですが、今日の医学の発展のためにこの研究結果が利用されているという、なんとも皮肉な現実もあります。

実際に行われた人体実験①超高度実験

ドイツ空軍がジェット機の開発に成功により、超高度の環境下において人体はどう変化し、反応するのかというデータを集めるために行われた実験です。ジェット機に乗るパイロットがパラシュートにより脱出するのを想定し、超高度で低気圧、酸素濃度の低い状態で人はどれくらいの時間で死に至るのか、どのタイミングで処置を行えば救出できるのかという実験を行い、死者を続出させています。

実際に行われた人体実験②冷却実験

海に落ちたパイロットの救出を想定した人体実験。海や寒冷地などで体温が冷え切った人体をいかに回復、蘇生することができるかを調べるためです。そのため、冷却した水の中に被験者を漬けて体温を極限まで冷やすのですが、被験者の多くはその冷たさに悲鳴を上げたといわれています。しかも、麻酔を投与するなど苦しみを緩和する処置は行われず、苦しみ抜いて息絶えていったそうです。

実際に行われた人体実験③海水実験

ドイツ空軍と海軍の要請により、事故などの理由で海を漂流する兵士が海水を引用して生き延びられるかどうかの人体実験。被験者は普通の海水を飲む集団、薬品によって塩味のしない海水を500cc飲む集団、同じ塩味のしない海水を1000cc飲む集団、精製された海水を飲む集団と4つのグループに分けて行っています。死者はいませんが、実験中は異常な喉の渇きから地獄の苦しみだったそうです。

ダッハウ強制収容所へ訪れる際の注意点

ナチス式敬礼はタブー

フリー写真素材ぱくたそ

必ず、守らなければならないのがふざけたり、軽い気持ちでナチス式の敬礼をしたりしてはいけないということです。基本的に、ナチス式敬礼をすることはドイツの法律で禁止されています。それを破った場合は法律違反であり、観光客であっても普通に逮捕されるのです。これはダッハウ強制収容所に限らず、ドイツへ訪れる際は必ず覚えておきましょう。

日本語表記はない

ダッハウ強制収容所には日本語表記での説明文はありません。唯一あるのは、日本語で記された簡単なパンフレットのみとなっており、オーディオ・ガイドもありますが、こちらも日本語のものはないです。ガイドツアーも実施されていますが、英語とドイツ語のみとなっています。ドイツ語や英語が苦手な方は、旅行会社などが企画している日本語のガイドツアーがいくつもありますので、そちらを利用しましょう。

ダッハウ強制収容所への行き方

観光地が多いミュンヘンからの出発がおすすめ

Photo bydesignerpoint

せっかくドイツに滞在しているのであれば、ダッハウ強制収容所の観光と合わせてほかの観光地も楽しいと考える方もいらっしゃるでしょう。そんな方は、オクトーバーフェスが開催されるマリエン広場やレジデンツなど見どころがたくさんあるミュンヘンと合わせて観光するのがおすすめです。ここでは、ミュンヘンからダッハウ強制収容所までの行き方をご解説いたします。

ミュンヘン駅からダッハウ駅へ

ダッハウ強制収容所の最寄り駅であるダッハウ駅は、ミュンヘン中央駅から電車で1本。「S2(Petershausen)方面行」の電車に乗車し、約20分で到着します。ちなみに、ミュンヘン~ダッハウ間を往復する場合は一日券を購入したほうがお得です。チケットは、自動発券機で購入することができ、日本語訳のついた自動発券機もあるので心配な方はそちらを利用しましょう。

ダッハウ駅からはバス移動がおすすめ

ダッハウ駅からの行き方はバスがおすすめです。ダッハウ強制収容所に向かう観光客は多いので、簡単にバス停を見つけることができます。「726番(Saubachsiedlung行き)」のバスに乗車し、「KZ-Gedenkstätte」で下車。所要時間は約10分程度です。バス停の目の前には大きな通りがあり、そこからが強制収容所の敷地内となるので、初めて行く方でもアクセスしやすいといえるでしょう。

人間が悪魔になった歴史を知れる場所

Photo byAlexas_Fotos

ダッハウ強制収容所では、人間の暗い部分の歴史を知ることができます。それは、決して他人事ではなく、同じ人間が起こしてしまった罪として受け止めることが平和を考える第一歩だと言えるでしょう。そこで起こった事実を学ぶことで自分の中にある正義や平和について考えてみるきっかけになる素晴らしい場所です。ぜひ、一度行ってみてはいかがでしょうか。

辻萌乃
ライター

辻萌乃

元高級旅館のフロント。 旅行や食べ歩きが好き。 皆様に分かりやすい情報を提供いたします。

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