逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
詩番号・43
- 逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり
使用されている言葉の意味
逢ひみての:男女が逢って契りを交わすことです。
のちの心に:恋が成就したあとの気持ちを表します。
昔:恋が成就する以前のことです。
物を思はざりけり:昔は物思いをしなかったにも等しいという意味です。
現代語訳
あなたと契りを結んだ後の恋しい心に比べれば、以前の物思いなどなきに等しいものでした。
作者:権中納言敦忠(藤原敦忠)
生没年 | 906~943年 |
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プロフィール | 藤原敦忠は琵琶の名手で琵琶中納言とも称され、恋多き貴公子であったといわれています。歌番号38番の右近と恋愛関係にあったとされます。三十六歌仙の一人です。 |
相手を切ないほどに思って詠んだ恋の歌
百人一首のうち、きぬぎぬの歌(結ばれた後に贈る詩)は3首ありそのうちの一つです。一夜を過ごした後と前とではまったく違い両思いでありながら前より切なくて苦しいと、ストレートで情熱的な気持ちを詠んでいます。敦忠から詩をもらった女性は、きっと次の夜も彼を待つのでしょう。
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
詩番号・38
- 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな
使用されている言葉の意味
誓ひてし:永久に心変わりしないと私への愛を神に誓いました。
人:愛を誓いあった男性を示します。
惜しくもあるかな:(誓いを破ったため神仏により失われる)あなたの命が惜しまれることですよ。
現代語訳
忘れられるわが身のことは何とも思いません。ただ、神前に愛を誓ったあなたの命が神罰で失われるのではと心配でならないのです。
作者:右近
生没年 | 未詳 |
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プロフィール | 右近は醍醐天皇の中宮隠子に仕えた女房です。右近という名前は父の右近衛少将藤原季縄の官命からきています。優れた女性歌人の代表であり、歌合での活躍が記録に残っています。 |
繊細な女心かそれとも恨み節か
別れても相手の身を案じる、けなげな女性の心を歌っているのか、それとも裏切った相手の不幸を願う気持ちを歌っているのか、どちらの気持ちでしょう。恋がうまくいっているときには前者、失恋後なら後者、いつの時代も女心は難しいものです。
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
詩番号・97
- 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
使用されている言葉の意味
まつほの浦:松帆の浦は淡路島北端の海岸のことです。松に待つをかけています。
藻塩:塩を作るために焼く海藻のことです。
身も焦がれつつ:藻塩が焦げると、思い焦がれるをかけています。
現代語訳
こない恋人を待つ私は、松帆の浦の夕なぎに焼く藻塩のように恋の思いに身を焦がして日々過ごしています。
作者:権中納言定家(藤原定家)
生没年 | 1162~1241年 |
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プロフィール | 藤原定家は百人一首の撰者です。父は詩番号83番藤原俊成で、父に学び新古今花壇の中心的人物として活躍し、多数の古典を書き写しました。 |
いつまでも来ぬ恋人を待つ女性の心情を夕なぎと重ねる
恋人を待つ女性の立場で詠んでいます。松の並木が見える夕なぎの砂浜からは、藻塩づくりで海藻を焼くたき火の煙が上り少し離れた場所では海を眺めて待つ女性がたたずむ非常に詩的なワンシーンです。いつまでも待つ身の女性の心はじりじりと恋焦がれ悲恋を予感させます。
出典:GIRLY DROP