百人一首の恋模様
権中納言敦忠は右近の恋人とされています。しかし「逢ひみての…」歌は右近へあてたものではありません。一方右近も恋多き女性で、敦忠以外にも、そうそうたる男性と関係があったといわれています。
ほかにも百人一首の中の登場人物の相関関係はいろいろあり、片思い、両思い、複雑な関係が多く今ならドラマになりそうな恋愛関係がたくさんあります。
百人一首よもやま話
平兼盛・壬生忠見の歌は960年に村上天皇が主催した「内裏歌合」で「恋」というお題で詠まれたもので、現代まで伝わるほどに有名な歌です。両者ともあまりにもでき栄えがよく勝敗を決めかねていたものの「忍れど…」と天皇が口ずさんだため勝利したとされています。
歌合で組み合わされて以来、文学史上、常につがえられて観賞され一対で選抜されているのは兼盛と忠見の歌だけです。
歌合は真剣勝負の場
壬生忠見は平兼盛に歌合で負けたことで落胆のあまり死んでしまったという逸話まで残されています。歌合とは当時の貴族たちにとって歌の優劣を競いあうみやびな遊びでしたが、真剣勝負の場でもありました。和歌を詠むことが大切な教養と考えられていた時代、並々ならぬものがあったのでしょう。
百人一首の恋の詩は現代でも切なく響く
詩は当時の貴族にとって欠かせないツールでした。百人一首の詩からはみやびなだけではない恋愛模様も見えてきます。
現代ではメール・電話・SNSなど連絡手段は豊富にあり、不便さはないでしょう。しかし、いにしえの人々と現代の人々との間に千年以上の時が流れても、片思いやうまくいかない恋の切ない思いはそれほど変わりないのではないでしょうか。
出典:写真AC