目次 [表示]
- マルタ騎士団とは?
- 有名なテンプル騎士団とならぶ3大騎士団のひとつ
- 現在は国際的な慈善活動をおこなう
- 現在は領土をもたないが国から独立した権利をもつ
- パスポートも独自に発行している
- 日本は独立を認めておらず外交関係もない
- マルタ騎士団はどうして作られた?
- 聖地エルサレムを巡礼する信徒を警備するため
- もとは巡礼者を救護する病院をかねた宿屋だった
- マルタ騎士団が聖ヨハネ騎士団と呼ばれたころの歴史
- 巡礼者の安全と聖地の治安を守る
- イスラム勢力にエルサレムを奪われ後退
- マルタ騎士団がロドス騎士団と呼ばれたころの歴史
- イスラム勢力とたたかう重要な砦
- 破竹の勢いのオスマン帝国に負けてまたも撤退
- マルタ騎士団と呼ばれるようになってからの歴史
- イスラム勢力とたたかう屈強な砦
- オスマン帝国から西ヨーロッパを守ることに貢献
- 領土を失うも独立組織として慈善活動に力をそそぐ
- マルタ騎士団は現在までつづく長い歴史をもつ!
マルタ騎士団はどうして作られた?
設立場所 | エルサレム(聖ヨハネ修道院の跡地) |
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設立年 | 1050年ごろ |
教皇による承認 | 1113年 |
構成員 | カトリックの騎士階級以上の男子 |
マルタ騎士団の母体となる団体ができた場所は、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教にとっての重要な聖地であるエルサレムでした。当時の西ヨーロッパはイスラム勢力と聖地周辺の土地を取り合っており、内部では政治に関わるようになっていた修道院を改革する運動もはじまります。
聖地エルサレムを巡礼する信徒を警備するため
マルタ騎士団は、カトリックのもっとも重要な聖地エルサレムを巡礼する信徒の警備・救護隊として作られました。
1回目の十字軍がイスラム勢力からエルサレムをうばい、聖地に残った騎士が修道会を立ち上げると、1113年にローマ教皇の管理下におかれます。修道会は、内面だけでなく外敵にも打ち克とうとする新しい理念のもと、特権的に自治もある程度認められました。
もとは巡礼者を救護する病院をかねた宿屋だった
マルタ騎士団のもととなった修道会は、聖地を巡礼する信徒のための病院をかねた宿屋でした。聖地巡礼がさかんだった当時、巡礼とは長く過酷な旅であり、死傷者が絶えなかったためです。修道会の病院は、エルサレムのキリスト教徒居住区にあった聖ヨハネ修道院の跡地に建てられたため、聖ヨハネ病院と呼ばれました。
マルタ騎士団が聖ヨハネ騎士団と呼ばれたころの歴史
呼び名 | 聖ヨハネ騎士団・ホスピタル騎士団 |
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年代 | 1113ごろ~1291年 |
本拠地 | エルサレム |
役割 | 1.巡礼中に負傷した信徒の救護 |
2.巡礼中の信徒の警護 | |
3.聖地・征服都市の治安維持 |
聖地を守っていた時代のマルタ騎士団は、もととなった聖ヨハネ病院にちなんで「聖ヨハネ騎士団」と呼ばれました。戦いのないときは、騎士団になる前と同じように病院の運営や巡礼者の救護をしていたため、別名は「病院(ホスピタル)騎士団」です。
巡礼者の安全と聖地の治安を守る
聖ヨハネ騎士団の役割は聖地において巡礼する信徒を警護し、十字軍が征服した聖地や都市を異教徒から守ることでした。イスラム勢力は手ごわく、騎士団は西ヨーロッパ中の騎士が集められ一大勢力に成長し、聖地周辺の大小100以上の軍事拠点を守っていたと伝わります。
イスラム勢力にエルサレムを奪われ後退
聖ヨハネ騎士団は西ヨーロッパの2大軍事力として、テンプル騎士団とともに征服都市を警備しますが、イスラム勢力にエルサレムをうばわれます。11世紀の終わりに十字軍が征服した地域すべてが14世紀までにうばい返され、騎士団たち西ヨーロッパ勢力は聖地への足がかかりを失いました。
出典:Unsplash